[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
前編からのつづきです。
「……なんだ?ここに来て助けを呼ぶ気にでもなったか?」
男の嘲笑する声が、やけにぼやけて反響する。
でもそんなものはどうだってよかった。
目頭にたまってくる、熱くこみ上げるモノは、紛れもない後悔。そして、届かない懺悔。
不快になぞられる肌も、囁かれる言葉も全て、『あの時』と同じ。
違うのは、今の自分の立場だったのが、大事な友人である神無で……
目の前にいる男と同じ行為をしていたのが……今正に来るのを待ち望んでいる響だったということだ。
(神無……)
これはもしかしたら、罰なのかもしれない。
ずっと彼女の苦労を知ろうともせず、親友のふりをし、あまつさえ貶めようとした、自分自身に対しての。
だから何があっても、呼んではいけない。
どんなに待ち望んでいても、呼んではいけないのだ。
友人に、同じ思いをさせた鬼である、響、を。
「……っ!!」
瞬間、首元に激痛が走る。
なんとか叫ぶのを堪えて、朦朧とした意識で痛みの元を見ると、、
口元を赤に染めた男が、首元から離れるところが見えた。
「……これで叫び声一つあげないとは、大したもんだな」
白い歯を赤く染めた男の口からは血が流れ、満足そうに笑む瞳には、もはや狂気しか映っていなかった。
「遊ぶだけにしようと思っていたが……本気でいくか」
背筋が凍るような低い声で囁く男の手が桃子の首から肩をなぞった正にその時、
どおん、と大きな破裂音があたりに響き渡った。
「……お前、死にたいようだな」
もうもうと舞う砂塵の中、輝く黄金の瞳が見えた。
見知った声に体が反応し、逸る気持ちそのままに食入るように姿を凝視すると、
ギラついているといっても過言ではない異様な煌きを放つ瞳と共に、響の姿が目に飛び込んできた。
「もう、お出ましか。意外に早かったな」
ゆったりとした口調は挑発の証。にやりと口元を歪めると、男が露にされた桃子の肌をなでる。
ピクリと動いた響の表情に、満足げに男は笑った。
「この女、顔はどうしようもないが、なかなかに触り心地はいい」
肌をなぞる手は止めずに饒舌に語る男は、響を見据え勝ち誇った声で囁いた。
「……どうだ?お前が鬼頭の花嫁にしたことと同じことを、自らの花嫁にされた気分は?」
その瞬間、場の空気が変わった。
赤く染めるように怒りに満ち満ちた空気は、何も無い透明なものへと姿を変質させる。
例えるならばゼロ。何の感情も映さなくなった響の空気に、男が勝ったと笑んだ途端、
聞いたこともない恐ろしく冷たい声が、ぽつりと落とされた
「……気が変わった」
言葉が辺りに響くのとほぼ同時に、桃子を拘束していた男達が弾かれたようにくずおれる。
「な……っ!?」
あまりの一瞬の出来事にうろたえる男の前で、ハンドボーガンを手にした響が美しく笑っていた。
「殺しはしない。だが、いっそ殺してくれと叫びたくなるような生き地獄を味合わせてやるよ」
まるで鈴を転がすような美しい声音で発された声が、開戦と、そして終戦の合図だった。
「……大丈夫か?」
縛っていたロープを外しながら、響が桃子に声をかけた。
軽く頷いてやっと解放された手首をさする。
きつくしめられていたロープの痕はしばらく消えそうにないなとどこか他人事のように思った。
響と男の勝負は一瞬で終わった。
狼狽した男の隙をつき、響は容赦なく蹴りや打撃、あまつさえナイフでの攻撃などありとあらゆるダメージを一方的に与え続けた。
最初に殺さないと宣言した通り、男は死んではいなかったが、先ほど取巻きに抱えられていた姿は虫の息で、正に生き地獄の状態だった。あの分だと後々残る傷も無数にあるだろう。
先ほどの戦いと、男の状態を見て、桃子は改めて鬼の中でも別格といわれた響の強さを見た気がした。
「立てるか?」
ふいに聞こえてきた声に顔をあげると、ロープの片づけを終わらせたらしい響が手を差し出してきた。
桃子は手を取ろうと伸ばしかけ……途中で手を引っ込めて首を横に振った。
今、桃子を助けるために伸ばされた手は、以前友人を傷つけるために動いていた手なのだ。
先ほど己がされたように、傷つけるためにのみ動かされた手。
そう思うと、どういう顔をすればいいのかさえ分からなくなって、桃子は響の顔を見ないように俯いた。
そんな桃子の行動をどう取ったのか、響は深くため息をつくと、徐に上着を脱いで桃子に渡す。
「着てろ」
「え、でも」
「いいから着てろ。そのままじゃ風邪ひくぞ」
言われて初めて自分の服が機能を果たしていない事実に気づく。思わず赤い顔を響に向けると、響は明後日の方を向いていた。どうやら、彼なりに気を使ってくれたらしい。
「……ありがと」
素直に受け取って服を着ると、安堵したらしい響は桃子の横にどっかりと座った。
「……いつ分かったの?あたしが攫われたって」
オレンジの夕日が消え、闇が迫り、星が瞬きはじめて幾分か経ったころ、
やっと桃子は言葉を吐き出した。
言いたいこととは全く違う言葉に自ら顔をしかめたが、
響はそんな桃子を大して気に留めなかったようで、ああと頷いた。
「刻印の気配がしなくなったから気になってなぎさに電話したのが4時くらい。
最近妙な気配がするとは思っていたんだが……大した力じゃないと思って油断していたのが仇になった」
口調は淡々としていたが、いつもは全く動かないといっていいほど形の良い柳眉が微かに寄せられており、後悔しているらしいということが見て取れた。
「……心配、した?」
「当然だろ」
恐る恐るといった具合に訊ねてみると、間髪入れずに返答が帰って来た。
さも当然といわんばかりの口調は、よっぽどのことがない限り心配などする男ではないと思っているだけに、素直に嬉しいと思った。
硬くなりかけていた心が、ふいに柔らかくなる。
一歩間違えれば殺されると思っていた共犯者だったあの頃から見れば、響との関係は劇的に変わった。自分の利益と相手の利益を天秤にかけて、如何に自分の意見を受け入れさせるかを競うのではなく、
お互いに言葉を交わし、時に反発しながらも、受け入れることができるようになった。
それは、相手に対して理解しようとする心がお互いに生まれたからだろう。
今も響が何を考えているのかは分からない。だけど、きっと桃子の言葉を聞いてくれるはずだ。
呆れられても、ないがしろにされたことはなかった言葉たちを思い出して、今思うことを告げるべく、響に向かって、桃子は口を開いた。
「……あたしさ、分かったんだ」
「……何が」
「神無の、気持ち」
はっきりそういうと、響の気配が動いた気がした。
しかし、視線は何事もなかったように、遠くに見える黒々とした山に向けられている。
桃子は構わずに再度口を開いた。
「本当に……あたし、バカだったから、あの時、神無がどんな風になってて……どんな風に感じてたんだろうって、考えたこともなかった。あの時は自分のことばっかりで、あの後も、自分がやったことの後悔ばっかりで。ほんとやんなっちゃうくらい、自分のことばっかりだったんだよね。あたし」
自嘲気味に言って、目を伏せる。
ぽろぽろと零れていくのは、今まで誰にも見せたことが無い本当の自分。本当の気持ち。
それを、他でも無い響に聞かせている状況は考えてみればおかしな話なのかもしれないが、不思議と違和感はなかった。冷たい夜風を吸い込んで、桃子は再度目を見開いた。
「でも今日、やっと分かった。神無の気持ち。辛くて、ホントにたまらなく嫌だったんだって。
自分が同じ目に合うまで分からないなんて、本当、バカだけど。
だけど分かったから、これで神無に、本当にごめんって言える。
……そして、あんたにも言える。」
そこで言葉を切ってじっと響を見ると、視線に気づいたらしい響が徐にこちらに顔を向けた。
その目をしっかり見据えて、桃子は言った。
「もう神無のこと、二度と襲わないで。何があっても、絶対に」
揺ぎ無い瞳で、しっかりした言葉で、そう言った。
……これまでに、何度も神無を襲うな、華鬼を襲うなと言ったことは数多くある。
だが、結局自分のことしか考えないであろう響は、到底桃子の言葉などに耳を貸すはずがないと思い込んでいた。だから側にいて監視しつづけようと思ったのだ。
しかし、今は違う。今、桃子は純粋に響の言葉を待っていた。耳を貸すはずのない男の返答を聞くためにただ真っ直ぐに瞳を向けていた。
その視線を受けた響は、しばらくの沈黙のあと、ため息をついたかと思うと立ち上がり、一言、言葉を落とした。
「……わかった」
それは、了承の意。
桃子が思わず目を見開くと、響は淡々と言葉を繋いだ。
「元々、俺の目的は鬼頭だからな。以前の事件もあるし花嫁を使って煽れば面白いがリスクが高い。
それより個体を狙った方が遥かにやりやすいだろうとは思っていたところだ。
だから、お前がそこまで言うなら……花嫁は標的から外す」
「……ほんとに?」
絶対に渋るだろうと予測していた桃子は、嫌にはっきりと明言する響に逆に不安になり問い返す。すると呆れたような嘆息の後、響ははっきりと桃子の目を見て言った。
「本当だ。俺は、嘘は言わない」
確かに、以前から響は重要なことこそ言わないが、嘘を吐くことはなかったように思う。
捻くれた男の分かりにくい真摯な言葉に、桃子はほうっと安堵のため息をついた。
理想とは少々違うが、多分響にしても最大限の譲歩をしたのであろう。
不貞腐れたような渋い顔がそれを物語っていて、思わず噴き出しそうになったのを堪えた。
「しっかし、あんたも懲りないよね。まだ木藤先輩を狙うつもりだなんて」
「当たり前だろ。……だけど、今は前にも言ったようにお前に手一杯だから、休戦くらいはしてやってもいい」
お前に手一杯、のところで不覚にも顔が熱くなってしまったが、見られたくなかったので、顔を背けて精一杯毒づいた。
「ほんっと……あんたしつこすぎ……」
まあ、華鬼のことはこれからまた説得していけばいい。今は、神無の安全が確認できただけでもよしとしよう。
いつのまにか数え切れないほどになった星が瞬く夜空を見つめて、そう結論付けると、目の前にすっと影が指した。
「帰るぞ」
「……うん」
響から再度差し出された手のひらを、今度は迷わず取った。
冷たいと思っていた手は、意外なほど温かくしっかりと桃子を支えてくれる。
そのまま立ち上がろうと腰を浮かせた途端……
「え?」
予想だにしなかった浮遊感が身を遅い、気づけば桃子はすっぽりと響の腕におさまっていた。
働かない頭で辺りを見渡すと、斜め上にある響の目と視線がぶつかる。
それで全てを理解した。今この瞬間、桃子は響にいわゆる『姫抱き』をされているのだ。
「ちょ……あんた、な……っ」
「怪我が酷いようだからな」
恥ずかしさにジタバタと足を動かすが、響は涼しい顔で歩き出した。
しばらくしても離してくれそうにない響に、今回ばかりは仕方ないと桃子が諦めたところ、
ふいに思い出したように、響が口を開いた。
「……そういえば、今回、俺も一つ分かったことがある」
「何が?」
「鬼頭は甘い」
きっぱりと言い放たれた言葉には、侮蔑の意が含まれていたが、
桃子にとっては何がどうすればそういった発言になるのかさっぱり理解できなかった。
「……どういうこと?」
「つまりは」
響は桃子を覗き込み、不敵に笑った。
「自らの花嫁に手を出されたと分かった上で、骨を折るだけに留めたあたりが甘いってことだ。
骨はどんなに折ったとしても、治療して年月が経てばやがて何事もなかったように元に戻る。
……それじゃ、意味がないだろ」
囁いた口調は優しげだったが、久しぶりに見る響の残忍な笑みは怖いほど美しく、激しい怒りがこめられているのが垣間見えた。
「俺は鬼頭のように甘くないからな。あれだけじゃまだ足りない。手を出したことを心底後悔させるくらいの地獄は見せてやるよ」
楽しそうに告げられる声は凄みがあり、端から見れば、正に悪鬼然とした姿であった。
しかし、それでも全く恐ろしさを感じないのは、響のその怒りは他でもない、桃子が受けた仕打ちによるものであると分かるからだろう。
それくらい、思われて、気遣われているのだと感じれば感じるほど、不謹慎かもしれないがそのことが純粋に嬉しくてくすぐったくて、桃子は知らず口元を緩めていた。
「ほどほどにしときなさいよ」
「……死なない程度にはするさ」
間髪入れずに出された返答に苦笑して、桃子は少しだけ響の方へ身を寄せた。
恐ろしいと思っていた共犯者の鬼は、意図せずかけがえのないパートナーへと姿を変える。
本人たちすらも予期しなかった変化が、周りにも影響を及ぼすようになるのは、まだ、少し先の話。
fin