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誰もが一度は考えると思う、桃子が誘拐されたら?という話。
いろいろと考えて描いてたら一週間かかったという……
長くかかった分、思い入れの深い話となりました。
ガツッと鈍い音とともに、遠慮なく床に叩きつけられる。
灰色のコンクリートの床は冷たく、叩きつけられた衝撃とあいまって痛みが一層増した。
しかし、弱みなど見せてはならない。泣き叫ぶ姿など尚更。
肉に食い込むほどきつく絞め付けられた手と足首の縄に唇を噛み締め、
目の前に立つ男達を睨みすえると、鬼なのであろう嫌に均整の取れた顔立ちである主格の男がクッと冷笑した。
「気の強い女だな」
桃子が男達に連れ去られたのは、仕事場のパン屋の裏口からゴミを捨てに行った正にその一瞬だった。目の前に陰が差したと思ったらあっと言う間に薬品をかがされ、抵抗などする間もなく昏倒したのである。
平和な日常が一瞬で悪意に染まる。それは桃子にとって忘れかけていた、二度と思い出したくない感覚であった。
「しかし勿体無いな。この女、刻印は上質なのにこの顔だ。こいつを選んだ鬼の気がしれない」
取巻きである鬼が不服そうにいうと、まあそういうなと主格の鬼が呟いた。
「歴代最高の力を持つ鬼に反逆した鬼だ……力こそ同等とはいえ、どこかしらおかしくなきゃできんだろう。なあ、狂った鬼に愛された花嫁さん?」
ニヤリと歪めた口元を近づける男から思い切り顔を背けると、
男は満足そうに顎をなでて、側に設けてある柵から下を見つめた。
どうやら、ここはどこか高い建物の屋上らしい。
階下から続く階段のドアが設置された周囲は柵が敷き詰められていて、
上はオレンジから黒にそまりかけの夕空があたり一面に広がっている。
車などの音がしないあたり、寂れた工場地帯か何かの一角なのだろう。
ところどころのびている鉄パイプはやけに無機質に感じられ桃子は身震いし、
いつの間にかはだけられた胸にある刻印をじっと見つめた。
小さな花をすっぽりと飲み込むように咲く大輪は、確かに響からごく最近桃子に送られた……というかつけられたものだった。
迷惑な同居人としてしか見ていなかった響が、実は桃子に好意を寄せていたことを知って、
気恥ずかしさと、嬉しさと、そして戸惑いを覚えたのを鮮明に覚えている。
「響……」
赤々と咲く胸の華を見て、そっと呟く。
今頃、響は何をしているのだろうか。攫われたのに気づかないほど鈍くはないし、それに今は刻印がある。以前響が『子猫の鈴』と称した刻印は、花嫁となった者を感覚的に察知する『目印』だ。それがあるならば、きっと響は自分の居場所を探しあててくれるに違いない。
しかし、それは嬉しいことのはずなのに、逆の意味で絞め付けられた胸に桃子は顔をしかめた。
「……自分の鬼を呼んだか?」
ふと気づくと至近距離に主格の鬼の顔があって、桃子は叫びそうになったのを必死で堪えて憮然とした表情を作った。
「別に、呼んでないわよ」
「……本当に気の強い女だな。呼ぶほうが確実なんだが……まあ、いい、鬼の方は確実にお前を助けに来るだろうからな」
「どうだか。刻印最近つけられたばっかだし。案外来ないかもよ?」
当然のごとく言い放たれた言葉に毒づく。すると男はにべもなく桃子の言葉を否定した。
「……それはない。でなければ、あんなにガードが固くなるはずないだろう。
質はたいしたものでもないのに、随分大事にされていると逆に感心したぐらいだ」
そう冷たく笑う男の言葉に、桃子は背筋がぞっと寒くなった。
あんなに、ということは、いつからかは知らないが恐らく今の今まで機会を窺がっていたことになる。
しかも用心深い響の目を盗んで、だ。
「あんたの目的はなんなの」
探るように男を見つめると、男は暫く空中に向けていた視線を桃子に向け、にいっとひどく恐ろしく口元を歪めた。
「強いて言うなら……逆恨み、か」
「逆恨み?」
「…打倒現鬼頭は何もあいつだけが掲げていたんじゃない。
寧ろ、先手だって動いていたのは俺の方だった。
鬼頭の力が強いのならば、その手足をもぎ取る手段を考えればいい。
そう思って手段を探すため、しばらく外に出ていたら……」
そこで言葉を切った鬼は、徐に目の前にある柵を握る。
みしり、と鉄で出来た頑丈そうな柵は音をたてて折れ曲がった。
「……外に出ていたら、俺の知らない間に、騒ぎが起き、聞けば鬼頭が勝ったとか。
お陰で準備万端整えたところで、怖がって誰も彼も手を貸さない。
おまけに鬼頭にはいつの間にか上や選定委員の監視もついていて
迂闊に手を出せる状況じゃない……
……悔しいだろう?せっかく何十年とかけてやってきた苦労を泡にされるなんて……」
男の声が喋るにつれて、震えていくのが分かる。
沸き立つ怒りを抑えているのだろう。小刻みに震える肩は神経質そうで、
見るものを震えさせる迫力があったし、実際取巻きは緊張に身を固めていた。
が、桃子の気持ちは逆に落ち着きを取り戻していった。
男の言葉を聞くたびに、ああ、こいつは小物だと断定できたのが主な理由だろう。
今目の前にいる男は、力はそれなりにあるようだし、頭もよさそうだが、言うなればそれだけなのだ。
逆恨みだけで桃子を誘拐した短慮で浅はかな鬼なのだ。
同じ私怨でも、もっと用意周到で、陰湿で、抜け目なく、全て条件が整うまで待つ男を、桃子は知っている。
「バッカじゃないの」
たまらずこみ上げて来た感情と共に罵声を吐くと、目の前の男の顔色が変わった。
取巻きたちが息を呑む音が聞こえてくる。
みるみる内に、憎々しげな怒りの形相に変わる鬼を桃子は怯まず睨み据えた。
「……なるほど、お前の鬼が、お前みたいな女を選んだ訳が少しは分かった。
だが……自分の立場を弁えていないようだな?」
溢れ出す激情を抑えていた男は、ふいに無表情へと変わり、
つかつかと桃子に歩み寄って腕を掴むと側にあった壁へと叩きつけた。
痛みに呻くと、ぞっとするような微笑が目の前に広がっていた。
「……流石に、凄い香りだな……、近くにくると俺でも惑わされそうになる。
だが、これなら都合がいい。造作がこれでも楽しむくらいはできるだろう」
吐かれた言葉に胸が凍りつく。伸ばされた手にいいようのない悪寒を感じて離れようともがくが、まるでそれを合図にしたかのように取巻きの男達が桃子の体を壁に拘束した。
「いい餌になるように、少々痛めつけるだけにしようかと思ったが……気が変わった。
なあ、狂った鬼の花嫁さん。俺が何も知らないとでも思っているのかい?」
頬に息がかかるほどの距離で囁かれる言葉に、心臓が跳ねる。すると鬼はその反応に満足したように笑み、無理矢理に引き伸ばされてくたくたになっている桃子の服の襟に手を伸ばした。
ビリッと不快な音が、辺りに木霊した。
「知ってるんだよ。全部。お前がお前の鬼に加担していたことも、お前の鬼が憎む鬼の花嫁にしたことも」
一つ一つ、嫌にゆっくりと紡がれる言葉が、嬲るように胸に迫ってくる。
頭がどんどん真っ白になっていく。
暴れ出す心臓の音が聞こえているかのように、目の前の男は狂った瞳を楽しげに歪めた。
「なぁ、傑作だろう?自分がしたことが、そのままそっくり己に帰ってくるなんて」
男から吐かれた言葉は、飾り気のない『悪意』そのものだった。
ぎゅっと唇を噛み、耐え切れず視線をそらした。
来てくれるであろう相手の名前を、素直に呼べなかった理由はただ一つ。
それは、己の危機の中で溢れ出す。
今、桃子の胸を覆うもの。それは、かつて大事な友人にしでかしてしまった、己の愚行への後悔と、怒りだった。